【2011年4月4日の朝礼でのスピーチより】

自粛よりも日本を活気づけよう

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震災以来、日本が全国的に自粛ムードに包まれています。 

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お祭りや花火大会など慶賀事が相次いで中止となっており、これは被災された方々のことを思えば飲んで騒いで浮かれている場合ではなく、少しでも痛みを分かち合おうということと、無駄な電力を使わず節約しようという思いやりの気持ちから発生していることは理解できますが、ここで別の懸念が出てきます。

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このような調子で自粛自粛と国全体が縮こまると、内需が落ち込み経済的に停滞してしまい、それが結局は被災地の復興の足を引っ張ることになるということを心配します。日本国民が一丸となって自粛するというのは、日本人の美徳でもあるかもしれませんが、いつもの右へならえの習性が現れているようにも思えます。

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大手企業は、このタイミングでテレビCMを流すことを躊躇していますが、「この非常時に浮かれたコマーシャルなどけしからん」という一部の意見を恐れてのことでしょう。日本人は、物言わぬ大多数の意向よりも、少数の先鋭的で強烈な非難を怖がります。

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東京電力の計画停電は当面は仕方のないことかもしれませんが、時間帯も構わずに節電節電というのにも違和感を覚えます。専門家によると、電力は需要がピークの時にブラックアウトが起きる可能性があるわけだから、需要が供給を大きく下回る夜間にまで節電するのは意味がないと言っております。私の母は、「うちも節電しくちゃ」ということでいつも点けておく階段の明かりを消すようにしたのですが、足元が暗くてよく見えず、足を滑らせて何段か滑る落ちて体をしたたかに打ったそうです。幸い怪我はありませんでしたが、このようなことで怪我をしてはそれこそ本末転倒です。

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「まわりがこう言っているから、皆がこうしているから」と、合理的な判断なしに付和雷同してしまう国民性が少し恐ろしいです。戦時中、燈火規制の中で明かりを点けていると隣近所から寄ってたかって非国民と攻撃されるのと似ているように感じます。竹やりでB29が落とせるわけがないということは合理的に考えれば至極当然ですが、集団でヒステリーになるとそのような判断もできなくなるのです。

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本当に被災地の復興を助け、日本全体に活力を取り戻すには、大いに飲んで食べて内需を拡大させることの方が、節電するよりも効果があるかもしれません。東北地方には農家や酪農家がたくさんいます。海岸沿いには多くの漁港があります。半導体関連の工場や自動車などの製造工場から生産される部品は、政界中のハイテク製品にとってなくてはならないものです。こうした産業が復興していく段階に至ったとき、もう数ヶ月か気かもしれませんが、そのときには私たち日本人は物を買わずに節約するのではなく、そうした産業に需要が生まれるように大いに物を買うべきでしょう。

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東北、北関東の被災地で作られた農産物やハイテク部品を使ったIT機器や自動車には、復興シールとかを貼って目印とし、そのシールが貼られた商品の購入には消費税を掛けないようにするなどして優遇すれば、地元は大いに助かるでしょう。

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しかし原発が収まったと仮定して、その後の復興に対して最も障害になるのが東京電力の計画停電です。夏の電力需要がピークに達するシーズンはあっという間に来てしまいます。政府はただちにサマータイム制とか企業の休日分散化など、具体的な対策を示す必要があります。しかしながら、どうもそのあたりの動きは鈍いように感じられてなりません。

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なにはともあれ、暗い顔でじっとして我慢するのではなく、元気を出して楽しく暮らし、大いに消費することが最も大切です。
もちろん、消費=浪費ではありません。この機会に、東北産の米や野菜をもっと食べるとか、三陸のうまい魚をつまみに東北・北関東の地酒を皆で飲もうというような、明るいムードを作り出していきたいものです。

大震災と外国の反応

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【2011年3月28日の朝礼でのスピーチより】

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今回の震災では、地震直後から諸外国より支援の申し出が相次ぎました。またその後の原発の機能停止、爆発などについては世界中が関心をもって注視しております。こうした大災害に当たり世界中から支援や激励をいただくというのは、物的な助けとなるのはもちろんながら、精神的にも日本は一人じゃない、世界が励ましてくれていると勇気づけられるものです。

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私自身、イタリアの知人からは、地震の翌日に早速お見舞いのメールが届きました。こちらは大丈夫だと伝えると数日後には、放射能の影響を心配するメールが来ました。
同様にサイパンの知人からもお見舞いのメールが来て、その中には、「いざという時にはサイパンの自宅に空いている部屋があるし、子どもたちの学校も探してあげるから、避難する時はぜひこちらへおいで」、という心温まる申し出が添えられておりました。この方からは、その後さらに同様のお誘いのメールをいただきました。実際に自分たちの家族が外国に逃げだすことはないと思いますが、このように言っていただけることはとてもありがたいことです。

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20日から23日まで韓国へ行ってきました。私にとって初めての韓国でしたが、今回の大震災について現地の日本を応援しようというムードに驚きました。
空港ではインフォーメーションの受付嬢が「がんばれ日本!」と書かれたたすきをかけているし、ソウルの繁華街には日本を応援する垂れ幕や看板が至る所に見られました。言葉がわからないので詳細は分かりませんでしたが、テレビでもキャンペーン広告をやっているようでした。

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普段はとかくイザコザの絶えないお隣の国、韓国ですが、いざという時には助けてあげようと一生懸命に応援してくれることは憶えておきたいものです。なんだか、口が悪くてけんかっ早いけれど、人の世話を焼かずにはいられない同じ長屋の住人のような感じがします。

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会社から日本赤十字を通して義援金を送ります。

休み

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春分の日のため、マンデースピーチはお休みです。

休み

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震災対応のため、マンデースピーチはお休みです。

徒弟制度再来 2/2

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【2011年3月7日の朝礼でのスピーチより】

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昔(昭和40年頃まで)であれば、それなりに教育レベルも高かったし多くの兄妹にもまれて育ってきて根性もあったので、たとえ中卒でも「金の卵」と中小企業はもてはやし、企業側が一から教育したものです。しかし、今は一から教育ではなく、多くの若者はマイナス百から教育しなければならない羽目になるので、そんな悠長な、寛容な中小企業はどこにもありません。

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これは当然のことです。給料払って教育してあげるというこれまでのスタイルが異常だったのです。
今は日本国内でも若者による就職先の争奪戦が激しくなっております。「私は大学を出ました、さあ使って下さい」という姿勢は通用しません。しかも競争相手は日本人だけではありません。居酒屋などに行って気づきませんか?アジアの若者達が一生懸命働いていますが、それは日本人の若者が就職争いに敗れていることを示しています。

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日本人だから、日本語がしゃべれるからといって安心はできません。もう一度先ほどの寿司屋の職人に戻って下さい。指示しないと動けず、就業時間以外は一切勉強も練習もせず、高い賃金を取っていく日本の若者。店の開店時間中でも平気でメールをやっている馬鹿者。日本語が通じると言ったって、魚の名前どころか、河岸や仲買の役割といった流通のしくみも知らない、知ろうとしない、上座がどちらかといった日本の常識なども全く知りません。

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何も知らない若者にきちんと教育をしてやるのも大人の役割だと思って、懇切丁寧に説明しようとしますが、聞いている相手は関心がなく、「何でそんな話聞かなきゃならないんだ」という明らかにめんどくさそうな態度で、しまいには説明している途中で居眠りを始める始末です。

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そんな人間より、言葉はたどたどしくても愛嬌があり、勉強熱心でこちらが説明するとうれしそうに聞いてくれてメモも取る、見ていないところでも、就業時間外でも懸命に努力している若者がいたら、たとえ国籍が違ってもそういう若者をかわいいと思うし、自分が何かを伝えてやりたいと思うのが当たり前です。

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すでに世の中の流れは変わっています。今のような就職氷河期の時代に生まれたことが、バブル期を体験し高額な年金をもらってリタイアする人たちに比べて不幸なのかも知れませんが、戦争を体験しなければならなかった人たちはもっと不幸でした。

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新卒であっても、手ぶらで会社に行っては門前払いとなります。といっても、資格を取ればいいというものではありません。熱意を持ち、仕事に興味を持ち、自分が必要とされる人間になることに喜びを感じるという基本的、精神的なスタンスが大切です。20歳過ぎてもいつまでも反抗期を卒業できずに何かに怒りをぶつけたくていつもふてくされているような、それでいて何も行動を起こさないような人間はどんどん置いていかれ(無視され)ます。他に有用な若者が世界中からやってくるのですから。

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自分自身の時間を価値あるものを創造することに費やすことです。ものを作るでも良いし、コミュニティを作っても良いのです。自分が何かの行動を起こし、それによってどのような違いを引き起こしどのような価値を作りだしたかということが客観的に説明できるような学生であれば、企業は大歓迎します。

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地元の小学生達を集めて野球チームを作りました。親とのコミュニケーション、対戦相手を探す、グラウンドを借りる、会費を徴収する、そのようなマネージメント経験は役に立ちます。そうした活動の中で、当然失敗をします。そしてその失敗した経験を次にどう役立てたか、という話を面接官の前でできれば大したものです。自分たちのチームがどのくらい強くなったのか、明確な目標に対して現在の自分たちはどの位置にいるのか、何が足りないのか、そうした検証作業も必要であり、たかが野球チームと言っても、沢山学ぶ要素があります。

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こんな体験を2つ3つ持つことが、俄仕込みの面接の訓練をするよりもずっと大切なことであり、これは、就職活動に有利とか言うことではなく、あなた自身の一生の財産となるものです。

徒弟制度再来 1/2

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【2011年2月28日の朝礼でのスピーチより】

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先日、母校の専門学校で学生相手に1時間ほど講義をしてきました。100人以上の学生が集まってくれて、社会人になるにあたっての心構えとか就職に役立つと思われるような話をしましたが、1時間では時間が足りず思っていたことの半分も離せませんでした。
以下は学生向けに話そうとして用意したネタですが、話せなかったのでここで公開します。

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社会は需給バランスで動いています。貨幣の価値、株価、商品の価格、就職率など。そしてその社会は、いまやグローバルつまり世界規模でシームレスにつながっているのです。

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日本がまだバブル全盛だった頃は人材不足、というかGDP(付加価値)の増加分に対して人材の供給量が変わらなかった(日本人学生の新卒は毎年100万人くらい)ために求人倍率はとても高くなりました。当時は入社してくれたら海外旅行にご招待とか、入社式を有名なディスコで開催したりなどと、新卒学生に対して大サービスをしていました。

しかし、それも今は昔です。ちょっと例えばなしをします。


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あなたが腕のいい寿司職人だとしよう。
あなたの店には就職希望の若者がしょっちゅうやってきます。あなたの店が雑誌で紹介されているのを見て自分も寿司職人になりたいと思ったそうです。

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しかし、そのほとんどはまともに料理の勉強もしていない、それどころか魚の名前も包丁の握り方も米の炊き方も知らない。たまに面白そうな奴だと思って雇ってみるが、店にいてもただぼーっと見ているだけで自分から動こうとしない。何かを指示するとそれなりにこなすが、洗い物とかゴミ捨てなど単純な仕事に限られる。

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「酒の在庫を確認して切らさないようにお前が管理しろ」などと言う漠然とした指示をするともういけない。いつになったらやるのかと思ってみていても全く何もせず、結局品切れとなる。問いただすと、どうやって在庫を確認すればよいのかわかりませんとの返事。

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店のメニューを渡して、ここに書いてある銘柄の酒が裏の倉庫にあるから一覧表にして、足りなくなりそうな銘柄があったら事前に注文するんだ。と説明してやります。

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しばらくすると、今度は「残りがどのくらいになったら注文すればいいんですか?」と聞きに来ます。1日の平均来客数やそのうち何割くらいの客が酒を頼むのか、それを考慮すると、注文してから配達までの時間差も考えてこれこれこのくらいと、丁寧に教えてやります。

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またまたしばらくして、「足りなくなったとき何本注文すればいいんですか?」と聞きに来ます。「はい、n本です」と答えられるような簡単なことではありません。酒は冬場の方が売れるから多めにストックしておく必要があるし、吟醸酒の場合、夏場は余り長く貯蔵しておくと味が悪くなるので加減しなければなりません。

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こうしたことを一々言葉で説明するのは大変なことですが、相手は「教えてくれなければできません」という態度です。親方であるあなたは、「そんなことはもう店に1ヶ月もいるんだから大体わかるだろう」とキレます。

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それでも、時間のあるときには必要な知識を一つ一つ説明してやります。例えば仕入れに関して。魚河岸はどこが運営していて、仲買人の役割やどういった客が買いに来るのか、一つ説明するとわからないことがますます増えるので、その分質問が増えます。2時間もかけてじっくりと説明しているのに、新人はメモすら取りません。「俺は別に世間話している訳じゃない、このくそ忙しい中2時間もしゃべらせておいて、お前は社会科見学の小学生か?」と心の中で叫びます。

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ある週末、常連の上客がやってきてお気に入りの酒を注文される。ところがその酒がないという。例の新人に問いただすと、この間注文しようとしたら酒屋が休みでした。と、まるで酒屋が休みだったのが悪いかのように言い訳する。腹が立って腹が立ってしょうがないあなたに怒鳴られた新人、翌日から来なくなりました。

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以上はただの作り話ですが、こんな状況が実際であります。

さて、それでも世の中の景気がまだ良くて、あなたのお店が繁盛しているうちは、こんな若者でも何とか育ててやろうと手取り足取り教えてやります。それはすなわち自分の時間を彼に投資していることになりますので、その間は店の仕事はおろそかにならざるを得ません。

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魚をさばくにしても、新人にやらせた仕事など客に出せるわけもなく、仕入値の高い高級魚が賄いの食事に回されることになります。こうした時間や品物の提供は金額に直すと結構な出費となります。また、何年もかけて折角育てたと思ったら、さっさと他の店に移るものもいます。一度、何で辞めるんだと聞いたことがありますが、「自分でやっていく自信がついたので辞めます」と言われたときには全身の力が抜けます。

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しかし、今のように不景気になり、同業者がばたばたつぶれていくと言う中で、ものになるかどうかわからない新人にあれこれ手をかける余裕はありません。勢いほったらかしになりますので、新人は長続きしませんが、不況なだけに次から次から応募者はやってきます。つまり、需給バランスが逆転したのです。そうなると、昔のように「仕事は体で覚えろ」、「先輩の仕事を盗め」ということになります。

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まあ、「一を聞いて十を知る」とまでは言いませんが、説明すればそれなりに吸収してくれてそれがそのまま行動に結びつくような人材なら良いですが、残念ながら、少子化、ゆとり教育、核家族化、コミュニティとの断絶といった、若者を涵養してくれる環境が劇的に悪化している中、教育する方が根負けします。

直角靴下

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【2011年2月21日の朝礼でのスピーチより】

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最近、ちょっと変わった靴下が話題になりました。

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普通の靴下はすねの部分と足先の部分が120度くらいの角度で"く"の字型になっていますが、この靴下はその角度が直角に折れ曲がっているのです。初めてこの靴下を見たとき、まるで童話に出てくるおばあさんが履いているような、何とも滑稽な感じがしました。あの5本指ソックスを見たときと同じような違和感です。

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しかし、これがよく売れていて、販売している「無印良品」によると2006年の発売以来4年で1400万足を売ったそうです。考えてみると足の角度は普段は歩いているときも立っているときも90度でありますから、この形の方が理にかなっているわけです。実際にこの靴下は足によくフィッ卜して、かかとの部分もずれにくいそうです。

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ではなぜこれまで120度の靴下しか無かったかというと、機械で大量生産するときに90度に曲げることが技術的に困難だったからだそうです。私は、従来のあの角度は人の休に合うように、それなりに考えて作られているのだとばかり思っていましたが、なんと、ただ単に製造側の都合でああなっていたのでした。

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直角靴下を見て違和感を覚えたのは、これまでずっと120度の靴下を見続けてきたため、それが普通だと思い込んでいたからでした。本当は90度の方がピッタリ合うのに、これまでの120度で別段おかしいとも何とも思いませんでした。使う側すら不便と感じていないことであっても、それをより快適にする工夫をしたときにヒット商品となるのですね。ちょっと「目から鱗」でした。

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冒頭で、この靴下が「童話に出てくるおばあさんが履いているような」と言いましたが、メーカーが最初にこの靴下を考え付いたのは、チェコ在住のおばあさんが手編みで作った直角靴下を発見したことがきっかけだったそうです。まさに童話のような世界から生まれたヒットでした。

蛇足:
クリーニングに出すと割れてしまうワイシャツのボタン、あれ何とかならないのでしょうか。熱に強くて弾力性のある素材なんていくらでもあるように思うのですが

善光寺と広拯院

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【2011年2月14日の朝礼でのスピーチより】

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9日から2泊3日で長野の善光寺へ行ってきました。
長年参加している文化交流事業でサイパンからの子供たちが来日しており、善光寺の隣にある城山小学校にお世話になっているので、そのお手伝いをしてきました。

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久しぶりに長野新幹線に乗りましたが、平日の夜ということでどうせ空いているだろうと高をくくっていると、発車20分前なのにホームはすでに長蛇の列。反対側の上越新幹線も長野行以上に混んでいます。発車直前まで待合室で待っていようと思っていたのを考え直して列に並び、どうにか娘と二人分の席は確保しましたが、デッキには立ったままの乗客がかなりいる状態でした。そうした客はスーツを着た会社員風の男性がほとんどで、見ていると高崎や軽井沢で結構降りて行くので、通勤で新幹線を利用する人がかなり多いということがわかりました。

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長野からはタクシーで宿泊先の福生院さんへ。このお寺は宿坊といって参拝客などを宿泊させる設備が整っており、善光寺に連なる院や坊の中でも最も山門に近い場所にあります。ここの住職、村上光田大僧正は私の師匠の師匠のお弟子さんなので、坊さんの世界でいうと大おじさんに当たります。

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ちょうどこの時期、善光寺では長野灯明まつりというイベントが開催されていました。現地に行くまではこの祭りのことは全く知らなかったのですが、とても盛大に開催され、多くの参拝客でにぎわっていて驚きました。以前に来たのはもう10年以上も前なので、だいぶ印象が違いました。このイベントは今年で8回目だそうですが、長野オリンピックから何年も経ち、関連予算も少なくなってきており運営はなかなか厳しいようです。そういえば、善光寺から歩いて10分ほどの長野電鉄権堂駅前あたりを歩きましたが、10年前に比べて随分と寂れているような感じがありました。

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10日は子供たちを引率してきたサイパン市長と一緒に城山小学校を訪ね、クラスで生徒たちと一緒に過ごしているサイパンの子供たちの様子を見て回り、教頭先生と会談したり、新聞社の取材を受けたりなどしました。

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翌11日は車で下伊那郡阿智村というところにある「信濃比叡 広拯院」へ出かけ、「火渡護摩供」に参加し、サイパン市長には鏡割りをやっていただきました。鏡割りの意味を英語で伝えるのはなかなか難しく、ちゃんと伝わったかどうか怪しかったのですが、楽しんでもらえたようです。とはいえ、現地は大雪でスキー場のようになっており、坂道ではつるつる滑って転ぶ人が続出。この厳しい寒さには、1年中30度以上の気候のサイパンから来た市長も随分と辛かったとは思いますが、終始にこやかに護摩供養や火渡りの儀式をご覧になっていらっしゃいました。

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ただ、同じ長野県でも長野市内から下伊那までは、中央道が雪でチェーン規制がひかれたせいもあり3時間以上もかかってしまい、同県の広さを実感しました。

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「火渡護摩供」は柴燈護摩(さいとうごま)という野外で行う護摩供養で、どんどやきのようなものです。実際に護摩木と一緒に古いお札なども一緒に燃やします。執り行うのは福生院の村上大僧正と山伏姿の僧侶らで、この日は雪が降り続く中での幻想的なものとなりました。ただ、終了後に餅を配られて護摩の残り火で焼いて食べるというのはちょっと驚きでした。私が比叡山にいたときに護摩というのはとても神聖なもので、灰といえども粗末には扱えませんでしたから、とても気がひけました。

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今は東京から長野まで新幹線で2時間足らず、便によっては85分で行けてしまうのでとても便利です。善光寺も大勢の参拝客、観光客で賑わっていました。地方の衰退が叫ばれる中、地方の活力を見せてもらって喜ばしいことですが、権堂駅あたりの寂れ方が気になります。日光輪王寺内で住職をしている知人が以前に言っていたことを思い出します。日光も、東北新幹線ができるなど交通が便利になり確かに参拝客は増えるけれども、日帰りでも来られるので宿泊してくれない。つまり地元の旅館などにとってはかなり深刻だということでした。

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高速な交通機関ができて人々が簡単にあちこち旅ができるようになりました。また、インターネットなどの情報技術が発達して世界中の人と瞬時にコミュニケーションがとれる時代となりました。昭和30年代生まれの私にとっては、少年時代は夢だったことがどんどん実現しております。移動も通信も簡単にできるようになればバラ色の未来になると私などは単純に思っておりましたが、どうもそうでもない面も見えてきるこの頃です。

大相撲の八百長問題

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【2011年2月7日の朝礼でのスピーチより】

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大相撲が八百長問題で存亡の危機に立っています。この前の野球賭博よりも致命傷になるかもしれません。しかし、野球賭博は犯罪であるのに対して八百長は法に触れる行為ではありません。それなのになぜこれほど大騒ぎになるのでしょうか。

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今回の八百長騒ぎは、私のように40代以上の人々の中には、なぜそんなに騒ぐのか違和感を覚えている人が多いのではないでしょうか。ちょうど巷間でブームとなっているタイガーマスク、昭和40年代に小学生だった私などはこの世代です。そのころは馬場と猪木がヒーローで、老若男女問わずリングで繰りひろげられる死闘に大興奮したものです。小学生時分、遊びに行った母親の実家で祖母の部屋をのぞくと、そこには一人でテレビにかじりつきプロレス中継を見て「やれ!」、「そこだ!」とこぶしを握り締めて叫んでいる祖母がいました。見てはいけない物を見た気がしたものです。

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馬場や猪木が活躍していたそのころのプロレスは、もちろん真剣勝負もあったでしょうが多くは事前にシナリオが決められているプロレスショーでした。反則技を使う卑怯な外人レスラーに対して、最初は劣勢だった日本人レスラーが最後には逆転勝利する。そんな水戸黄門のようなシナリオで、視聴者は皆すっきりした気分で翌日の仕事に励む高度成長期。良い時代でした。そういえば、休日のゴールデンアワーはプロレス中継が多かったような気がします。

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しかし、そんなプロレスが八百長だなどと問題視されることはありませんでした。あるプロレスファンが、試合会場に早く着いたのでその辺をぶらぶらしていて、会場となる体育館の裏へ回ると宿敵同士のはずの馬場とブッチャーがキャッチボールをしていた、という笑い話もあります。小学校に上がった子供が、サンタクロースを半ば変だなと思いながらも「まあ、プレゼントがもらえるからそういうことにしておこう」と折り合いをつけるようなものでしょう。

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相撲というのは元々は能のように神前に供える神事が起源といわれています。その起源は古事記にも登場するほど古いものです。ですから礼とか型というものが重要になります。また、江戸時代には相撲観戦が娯楽となり巡業という形で地方を回ることになります。一か所で開催しているばかりだと、観客が動員できないのであちこちに出張するわけで、サーカスと同じです。そうすると、巡業先が地元である力士にとってはどうしてもいいところを見せたくなります。故郷に錦を飾るというやつです。そこで、星の貸し借りが生まれるわけです。名古屋出身の力士は、名古屋場所では福岡出身の力士に勝たせてもらい、その代わりに九州場所では負けてやります。これだけなら別段不道徳な行為とはいえませんね。

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相撲を観戦する主役は神様であり、力士は礼儀と伝統を重んじて日々精進する。人間である一般観衆は取り組みだけを見て勝った負けたと騒いでいますが、相撲は日々の稽古も含んだ普段の生活そのものが重要であり、神事を司る神主や巫女のようなものと言ってもよいかもしれません。だから相撲は伝統芸能です。

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相撲はそうして2千年余りにわたり連綿と存在してきたのですが、どうしたわけか時代の方が変わってしまったのです。グローバリズム、透明性、コンプライアンス、などという言葉が重視され、見えない物や影の部分の存在を許さなくなってきています。それと同時に外国人力士が活躍するようになり、伝統芸能である相撲が国技に祭り上げられ、無理やりスポーツにさせられてしまったのが今に至る問題の根源でしょう。

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我々世代にとっては、相撲というのは裏社会と密接につながっているというのが常識でした。タニマチと言われる地元の有力者はその筋の人が多かったようです。芸術やスポーツを支えるのは洋の東西を問わずパトロンとなる資産家ですが、そうしたパトロンは必ずしも公明正大に商売をしてきたとは限りません。裏の世界で稼いだ金を力士や芸能人のために使うのは、宣伝を兼ねた彼らのCSR活動なのかもしれません。映画「ゴッドファーザー」でも、彼と同じイタリア系の歌手をバックアップするシーンがありますが、この歌手はフランクシナトラがモデルだそうです。

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相撲というのは「ごっつあん」体質と言われるように、スポンサーからの物心両面での支援がなければ成り立ちません。収益の柱が興業(工業ではなく)なので、いかに観客を動員するか、ハコを抑えるか、タニマチ達の顔をつぶさないように彼らの調整を図るか。など、どうしても裏社会とつながることが避けられませんでした。そうした中でトラブルも起きます。戦前の話ですが、山口組の田岡一雄元組長が若いころに力士同士のもめ事に介入して宝川(たからがわ)という力士を切りつけて引退に追い込んだということもありました。野球賭博もそうした関係から、かなり古くから常態化していたのではないでしょうか。

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今(といってもこの数十年)になって相撲はスポーツだから真剣勝負しろとか、男女平等だから女も土俵に上げろとか、世界に門を開き外国人も参加させろとかいうのは、長い伝統を持つ相撲界にとっては甚だ迷惑な話でしょう。相撲協会の理事たちも難しい顔をして不祥事を起こした力士を裁いていますが、彼ら自身が若いころはどうだったのか、そのころはそれが常識として暗黙の認知を受けていたということから複雑な心境なのではないでしょうか。

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昨日のテレビ報道で石原都知事が単純明快に述べていました。「あんなもん昔からあたり前としてあった」という発言は、今の若い人には違和感があるかもしれませんが、昔を知る人には常識です。なぜ今になって騒ぐんだというのが我々世代の感覚です。

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どうも日本人が全体的に「些細なことに我慢のできない国民」になってきているような気がします。政治家に対してわずか1円の使い道まで明らかにしろとか、小沢一郎のいわゆるカネ問題で国会が大騒ぎするなど、もっと他に重要な事柄があるはずなのにと思うのです。些細な問題というのは構図が簡単で理解しやすいから人々の関心を持ちやすいのでしょうが、かつて日米安保で大騒ぎしたのと比べて、何とスケールが小さいのでしょうか。相撲がGDPに与える影響など知れています。今の子供たちは別に相撲など見ませんから教育的意味合いもありません。そんな相撲の世界で起きた、たかが勝ちや負けを調整したという程度の話は、三面記事の隅っこにでも載ればよいという程度の問題です。

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ただ、相撲の世界が賭博や八百長まみれで良いとは思えませんし、公益法人として税金を免除されるからにはそれなりに自浄努力していく必要はあるでしょう。色々と問題があるなかで、新弟子に対するいじめというのも深刻です。幕下と十両では天と地ほどの差があるのも、モティベーションを高める効果がある半面、勘違いした上下関係を醸成することになります。たまたま体格に恵まれていて精神が子供なままの十両力士が、幕下の付け人に傍若無人にふるまい、それを容認する相撲界の体質は、結局は相撲自体の衰退につながります。今の日本の若い人はそんな世界で耐えていこうとは思いませんから、新弟子に応募する人がいなくなるのは当然です。

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十年以上前、福岡出張で中洲のカラオケバーでそこの女の子に聞いた話です。九州場所の最中、髷を結った十両以上の力士と付け人のグループが店にやってきたそうです。そのうち酔いが回って悪ふざけが始まります。この十両力士、やおら羽織の前をはだけると、水割りの入ったグラスに自分の陰嚢を浸しました。何をするのかと見ていると、今度はそのグラスを付け人に突き出し「これを飲め」と強要したそうで、あまりにひどい光景だったとその女の子は憤慨して語っていました。そのような行為がまかり通るのですから、一般社会とはいかに常識がずれているかということです。

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昨年の夏、かつての名横綱大鵬の実家がある川湯温泉に行ってきました。さびれた感じの温泉街の道路わきに「大鵬の生家はこちら」というような看板がありましたが、大鵬と聞いても誰のことか知らないという世代が増えており、おそらく訪れる人もわずかでしょう。すぐそばの神社に、立派な土俵が残っていたのが往時をしのばせます。そろそろ、これまでの大相撲というものが変わっていかなくてはならないときに来ているのかもしれません。

偽装社長

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【2011年1月31日の朝礼でのスピーチより】

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以下は2008年6月に書いたスピーチのネタですが、そのまま話す機会を逃し未公開となっていたものです。このころは、食品を扱う有名会社の不祥事が社会問題になっていたころで、船場吉兆の産地偽装や食べ残しの使いまわし、赤福餅の製造年月日偽造、そしてミートホープ問題などが相次いで起きた時期でした。

スピーチのメモが途中で尻切れだったのですが、今回、関連した記事を新聞で見つけたので続きを付け足して発表します。

===「偽装社長(2008/6)」ここから===

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またまた牛肉の偽装問題が話題となっている。この手の事件は構図が単純で、登場する社長がユニークなのでマスコミの格好のネタになる。つまり、顧客をないがしろにして利益を追求する悪徳経営者とその被害者の客と従業員という、加害者と被害者がはっきりしていて誰にでもわかりやすいパターンである。これに対して政局ネタなどは、誰が正しくて誰が悪いとかいうような話ではないし、ニュースを見る側にもそれなりに勉強と理解力が必要なのでなかなか世間の耳目を集めることは難しい。

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それにしてもこのような事件が発生するたびにマスコミに報道される経営トップは実によく似ていると思うのは私だけだろうか。一見、いかにもやり手で仕事熱心だけれども、どこかうさんくさい、報道のされ方がそのようなストーリーなのでいたしかたないかもしれないが、今日は少し視点を変えて見てみたい。

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この手の事件の報道では、顔を隠した従業員がテレビの取材に答えて会社の内情を暴露するという、いつも見慣れた光景が映し出される。この構図は、悪徳ワンマン社長と、被害者に限りになく近い従業員、という二項対立のパターンである。しかし、この従業員たちは本当に被害者なのだろうか。

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現代は、今話題の「蟹工船」のように、会社に自由を奪われ無理やり働かされるといったアナクロな時代ではない。もちろん、社長に刃向えば職を失い、生活を脅かされるかもしれないが、労働者は基本的には様々な法的保護や社会的保護の下にあり、自分の倫理観に合わないような経営者の下で無理に働かなければならないという特殊な事情を抱えた人は極めて少数であろう。

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私が初めて就職した会社もワンマン社長が経営する中小企業であった。私はこの社長と何度も衝突し、最後は大喧嘩して辞めた口なのでこのような話をしている。
従業員がマスコミの取材に対して、「不正は社長の指示でやっていた、社長は常々自分の言うことを聞かなければクビだと脅していたので、我々は従うしかなかった。」といった証言であるが、これをそのまま「かわいそうだったね」と受け入れてよいのであろうか。

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マスコミから見るとこのような証言をしてくれる従業員は格好のネタ提供者なので同情的に扱うのは当たり前である。また、事件を視聴者に分かりやすい二項対立のパターンとするためにも従業員は被害者である方が都合がよい。

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もちろん、悪徳なワンマン経営者の肩を持つつもりはないし、そのような経営者のもとで働かざるを得なかった人たちには同情を感じるが、ここで言いたいのはそのような社長がなぜ平気でのさばるのかということである。さらに言うと、経営者の関係者や従業員はなぜ止めようとしないのか。従業員だったら社長の指示が社会正義に反していても従わなければならないとでもいうのだろうか。そんなことはないはずである。

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私は、テレビで得意げに社長や会社の悪行を述べ立てる従業員たちと、それを取り上げるマスコミに違和感を持つのである。そのようなことを今頃言うのであれば、それを上司や社長に訴えたのであろうか。もし諌めることもせず、普段は悪の片棒を担ぎながら、自分の大将が失脚したと見るや寝返って自分は被害者でしたという顔をするのであれば卑怯というしかない。これに対して、勇気を持って上層部に進言したが聞き入れられずに内部告発をする勇気ある従業員がいるのも事実であるが、それはあくまで少数であろう。

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この国は、いわゆる「善良なる被害者」に対して無批判で同情する風潮があるように思える。しかし、そうした風潮が、内には権利だけを主張して義務を果たさない国民を増やし、外には、自国の受けた被害を何百倍にも誇張して大騒ぎする国に対して腰砕けとなる国の姿勢を助長しているように感じる。

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多くの国民が、マスコミに踊らされることなく、批判を恐れずに自分の意見を言えるような国になれば、米国との開戦の時に軍部を暴走させることもなかったのではないか。自分の意見を自由に言える社会。多数派のヒステリック集団が少数意見を叩き潰すのではなく、まっとうな議論を展開できる風潮を作れないものだろうか。

===「偽装社長(2008/6)」ここまで===

とここまでが2008年のスピーチメモでした。そして、たまたま今日の新聞にその後の興味深い話が載っていました。主題としたミートホープの元常務A氏が最近になって話した内容です。(2011年1月8日の産経新聞より)

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A氏は1995年に入社して間もなく社長の偽装に感づいたそうですが、「不思議と罪悪感はわき上がらなかった」と話しています。そうした行為は業界全体で習慣的に行われていると思い、「うちだけじゃない」と感じ、販売した肉の品質にクレームをつけてきた取引先には自ら嘘をついてごまかしたそうです。A氏は自分が偽装に気づいていながらそれを追求しなかったのは、「自分が加担していることを認めたくなかったから。自分への評価を失うことへの恐れもあった」と正直に語っています。

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A氏はその後2006年に退社し、偽装を告発したことにより翌2007年にはミートホープの事業継続が不可能となりました。A氏に何があったのでしょうか。急に正義感が芽生えたのか、偽装がエスカレートしてついに堪忍袋の緒が切れたのか、はたまた社長といさかいを起こして復讐したかったのでしょうか。どれも違うようです。「正義感もひったくれもない」とはA氏の弁です。実は、他の従業員の内部告発の動きを察知したので、「このままでは自分も捕まってしまう。積極的に告発する姿を示す必要があった」というのが真相でした。

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もし偽装が発覚しなければ、この社長はこの後も活躍し続けて地元の名士として尊敬を集めていたかもしれません。そんなときにテレビが「地元で頑張るカリスマ経営者」などというタイトルで番組を作り、従業員に「社長をどう思うか」とインタビューしたら、「うちの社長は食肉のことなら何でも知っていて、お客様のため、従業員のため、地元のために私心を捨てて頑張っています。そんな社長は私たちの誇りです」などと答えていたのではないでしょうか。どこかの国とイメージがかぶりますね。

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A氏はことさら道徳観の欠如した人ということはなく、ごく普通の人だったと想像できます。前半(2008年のメモ)で、テレビのインタビューに答える従業員を別の角度からとらえて批判的に述べましたが、人間の行動というのはよほどのこだわりがない限りは多数派やブームに流されるものでしょう。スーパーのレジで今まで並んでいた列から抜け出して、空いている列に並び変えるようなもので、その人は何も責められるようなことはしていません。

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家からコンビニへ行くのに、通る道を右でも左でもいいやと思っている人に、「じゃあ車の通りの少ない左から行こうよ」と耳打ちすれば、無意識に左に行くでしょう。選挙などは同じ理屈で、何となく「自民党は長く続いて腐敗しているからフレッシュな民主党にしよう」、「2大政党制ってかっこいいじゃん」などというノリで政権交代が起ったような側面もあります。

多くの人はあなたを裏切るのではなく、流れに流されているだけなのです。

2011年4月

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