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戦没者慰霊法要

第二次大戦戦争犠牲者の慰霊法要を毎年サイパン島にて行う活動を支援

代表の阿部が1977年に比叡山延暦寺の叡南俊照大阿闍梨一門にて出家得度しております関係で、一門の栢木寛照師が理事長を務める「社団法人三宝莚国際交流協会」が主催する「青少年サイパン島戦没者慰霊法要文化交流使節団」の活動を1987年より毎年ご支援しております。

第2次世界大戦では当事国のみならず周辺国も含め多くの軍人や民間人が犠牲となりましたが、当時を知る世代が現在では非常に少なくなり、彼らの口か ら直接そうした戦争の体験を聞くことができなくなりつつあります。また、各所に残されていた戦争の傷跡も戦後の復興とともに姿を消し、日本国内では広島の 原爆ドームや沖縄のひめゆりの塔などをのぞいてはほとんどみることができなくなりました。

Cannon in Managaha

そうした中、今でも戦争の傷跡を生々しく残しているのがサイパン島です。今では観光スポットとして知られるサイパン島ですが、当時は日本が統治した こともあり多くの日本人が居住していました。戦争の末期、サイパンが陥落したときには激しい地上戦が繰り広げられ、島の北端まで追い詰められ逃げ場を失っ た人々は高さ100メートル以上もある岬から万歳と叫んで海に身を投じました。そのことからこの岬は「バンザイ岬」と呼ばれるようになりました。そして今 でも海中には日本軍の戦闘機、海岸には戦車や高射砲などが残されておりますし、岩肌には米軍の激しい艦砲射撃で開けられた穴が無数に確認できます。

そうした戦争の悲惨さを今に伝える事物を、戦争を知らない若い世代に知ってもらい、平和のありがたさを実感すると同時に、戦争で散っていった多くの 人々を慰霊するというのがこの「サイパン島慰霊法要」の目的です。また、日本が統治していたことからとても親日的なサイパンの人々との文化交流も大切な役 割です。

Last Command Post

「青少年サイパン島文化交流使節団派遣事業」は1979年に第1回が実施され、以来毎年夏に催されています。新聞等の告知で国内各地の小中高生から の参加を募り、書類選考により40名前後を選抜して慰霊法要使節団を組織します。現地へ出発する前に国内で数回の勉強会を行い、この活動の意義、日本とサ イパンとの関わりや歴史などを学びます。現地では慰霊法要はもちろん、サイパンの知事や市長への表敬訪問、鎮魂の祈りを込めた海への灯籠流し、サイパンの 文化や生活を深く知るために現地のご家庭でのホームステイなどが行われます。こうした活動の費用はすべて社団法人三宝莚国際交流協会がまかないますので、 選抜された青少年の費用負担はありません。また、引率や勉強会なども社団法人三宝莚国際交流協会のボランティアスタッフが無償で労力を提供しています。

それもこれもすべては、日本の将来を担う次世代のためであるという信念を持って活動を続けております。

 

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